1995年 西谷修と加藤典洋の対談 世界戦争のトラウマと「日本人」を読みながら拾ったキーワード

続き。

加藤典洋から「明治学院が戦争に加担した罪の告白」について

1995年6月10日 中山弘正学院長が告白。*1過去の責任者を実名で記載。加藤典洋はこれを評価。

西谷修から「死の問題」について

天皇制国家体制

1910年の大逆事件までに天皇制国家体制ができる。

国家神道の形成のされ方

天皇制国家体制ができる間にキリスト教を受け入れたために、死者は神のものとなり、人は死者と向き合わなくなる。そして靖国神社をつくった。近代日本における共同体の結節点としての「死の問題」を考えるには、神道国家の形成を考える必要がある。

西谷修から「主体」について

明治の時期に日本は世界史に召喚される。*2
そのとき、ヨーロッパ型の国家になる必要があり、これがナショナルインタレストとなった。(ナショナルインタレストって何?)そのとき、ヨーロッパには複数の主体があった。

西谷修が触れたその時代の出来事

1910年 韓国併合大逆事件(「これ以降、日本ではまともにものが言えなくなった。」)
1911年 大逆事件の死刑執行。条約改正(日米通商航海条約)

*1:敗戦50周年にあたり、明治学院中山弘正学院長は礼拝において『明治学院の戦争責任・戦後責任の告白』を表明した。「未来への記憶」

*2:この点は西谷修 著「世界史の臨界」でも読んだ。