1995年 西谷修と加藤典洋の対談 世界戦争のトラウマと「日本人」を読みながら拾ったキーワード

続き。

加藤典洋から「敗戦後」について

「戦後」は敗戦の3年後からと考えている。敗戦からそれまでの間が「敗戦後」。この3年間でひそかに決められた、アジア侵略の責任がどのような形で「日本人」の前に置かれるか、の手がかりを得ようとした。

西谷修から「謝罪する責任」について

罪を犯した本人が謝罪するのは罪責感から。
罪を犯していない人が謝罪するのは責任感から。
責任(レスポンサビリテ)はレヴィナスによると他者の呼びかけに答えうる応答可能性である。
それが加藤典洋の「『日本人論』論」にあると思った。

加藤典洋から自著「敗戦後論」について

侵略の責任者から、責任を引き継いでやろうと考えて書いた。これまで、責任をとれ、謝れ、せめて聞け、という要請にたいして、応じようとした人がいなかったと思う。自分は侵略した本人ではないから、という態度をしながら、自分が日本人であり、日本にいて恩恵を受けているということの、貸し借りをなくしたいと考えた。